雪山実技第四回・硫黄岳登頂 1日目

新宿から美濃戸口へ

前回の谷川岳と同様、朝7時に新宿駅前に集合し、チャーターバスで出発。今回は小屋泊まりのため、必要な装備は少なくて良い。出発前の準備に要する時間が短くて済むこともあり、気持ちの余裕が前回とは違う。
走り出したバスの車内では、講師から今回の実技講習についての説明があり、班分けのパーティー編成表が配布された。受講者は26名、男女混成で6つの班に分けられ、各班毎に1名の講師が付く。自分の班は、男性3名+女性2名+男性講師1名の構成だ。
朝食は出発前の自宅できちんと食べていたのだが、早朝5時だったので腹が空くのも早い。途中のサービスエリアで、大盛りカルビ焼きそばと鳥唐揚げメキシカンライスを買う。朝昼兼用のがっつり飯だ。
途中、事故渋滞にはまり込み、1時間ほどノロノロ走行が続く。

渋滞をようやく抜けると、ピーカンの晴天に南アルプスや目指す八ヶ岳の白い高峰が見えてきた。それぞれのピークを、地図と見比べてみんなで確認、気分は絶好調。

美濃戸口から赤岳鉱泉


11時少し前、バスは標高1490メートルの美濃戸口に到着。八ヶ岳山荘前の広場で、スパッツなどを装着し、班単位に行動開始。標高2220メートルの赤岳鉱泉まで、標高差730メートルの行程だ。
美濃戸山荘前のゲートまでは、一般車も走行できる車道で、1時間ほどの道筋だが、変化に乏しくけっこうかったるい。しかし、路面は雪解けと凍結を繰り返したアイスバーンのため、とても滑りやすく、気が抜けないのだ。歩行訓練の意図から、ノーアイゼンで行く。

ゲートから先は、関係車両のみ走行できる林道を、途中、ショートカットの登山道を混じえながら進んでいく。登山道においても、多くの登山者が利用するためだろう、堅く踏み固められた路面は再凍結を繰り返し、つるつるで滑りやすい箇所がところどころ現れる。

中間点で林道は終わり、その先は樹林帯の中を縫うような登り道になる。頭上を掠める木の枝に注意しながら、進んでいく。下山する登山者も多く、狭い道のすれ違いでは挨拶を交わしての譲り合いが必要になる。冬期はある程度以上のスキルを持った人しか入山していないので、このあたりのやりとりはとてもスムーズだ。ゴールが近付くにつれ、硫黄の臭いを感じるようになった。

赤岳鉱泉に到着すると、クライミング装備をビシッと固めた多くの人だかりで、もう圧倒されそうな雰囲気だ。前方に見える高峰を指して講師曰く、「今、あそこに立っていたら最高だろうねえ。でも、明日のほうが訓練にはいいね」。日本気象協会の登山天気予報では、明日の八ヶ岳は標高3000メートルにて風速26メートルという恐ろしい算出値が発表されている。発表通り20メートルを超える強風ならば、樹林帯を抜けたところで登頂は諦め、すぐに引き返すことになるらしい。天気よ、何とか持ってくれ。

これが噂に聞くアイスキャンディー。人工的に造られた巨大な練習用氷柱で、アイスクライミングの競技コンテストなども開催されているという。反対側に回るとベニヤボードの壁面もある。NORTH FACE、PETZL、アミノサプリなど、ブランドスポンサーロゴを冠した広告塔にもなっている。

フィックスドロープ通過訓練


軽く休憩をとった後、2つの班でひとつのグループになり、実技講習をスタート。計画では、ジョウゴ沢まで行く予定になっていたが、高速道の渋滞などで到着が遅れたため、アイスキャンディー脇にある樹林手前の広場で訓練することになった。まず行ったのは、フィックスドロープ通過の訓練だ。木々の間に講師が張ったロープを使い、スリングでのセルフビレイを練習する。用いるフリクションノットは、前回の谷川岳雪洞訓練の際にも練習したマッシャーだ。一般的に用いられるプルージックではなくマッシャーを使う理由は、結び方を習得しやすいことと、回収が楽であるためだ。マッシャーの場合、スリングロープの直径は、結びつける相手のロープよりも3mm以上細いほうが効きが良いそうだが、岳連共同装備品のロープは8.6mm前後の径を持つ。対して、各個人が用意したロープスリングは7mm径。直径差は効きが良いとされる3mmの半分程度しかない。必要な摩擦強度は、自身の全体重をあずけられること。ある程度努力して巻かないと、摩擦力が足りずにスリップしてしまう。

体重を支えきれず何度かスリップする自分の様子を見て、講師がお手本に結んでくださったのが、この写真。コンパクトに密度高く巻き付けられている。思いっきり体重をかけてもビクともしない支えだ。講師曰く、「男だったら美人になるよう念じて巻くんだよ。女だったらイケメンになるように…」。雑な巻き方ではダメ、綺麗に丁寧に巻くことが大切だという。お手本をしっかり目に焼き付けてから解き、改めて自分で巻いてみる。今度は成功! しっかりカラダを支えられた。
マッシャーのコツをつかんだ後は、うさぎの耳を使ったトラバースを練習する。これも前回の谷川岳で学んだことを踏襲するが、今回、新たに二つの注意が示された。
まず、「うさぎの耳」の首側をハーネスに結びつけるときは、なるべくビレイループは空けておき、ビレイループと並行するようにカウヒッチで固定する。ビレイループを空けておくと、万が一の場合の対応がとりやすいという。他のメンバーにビレイしてもらう必要が出た場合や、ヘリで救助される場合に、空けておいたビレイループが活きることになる。
もうひとつの注意は、「うさぎの耳」の耳側にカラビナを付けるときにも、カウヒッチを使うこと。カラビナを通しただけの状態だと、フィックスドロープを通過するときに、うっかりカラビナを落としてしまうリスクが高まる。そこで必要になる知識が、首側をすでにハーネスに固定した状態のまま、耳側にカウヒッチを通す方法だ。講師の手の動きを見て、何となく理解したつもりでも、見よう見まねに自分でやってみると、ん? うまくできず、難しい。家に帰ってから、じっくり復習しなければ。

氷上歩行訓練

フィックスドロープ通過訓練に続いて行ったのは、小さいほうのアイスキャンディーを使っての氷上歩行訓練だ。こちらの氷壁は、大きいほうのアイスキャンディーのような垂直面ではなく、斜面になっていて、全体の高さも人の背丈の二〜三倍程度だ。ピッケルでバランスをとりながら、斜面のトラバースを練習する。これは、次回4月の実技講習に予定する赤岳登頂の山行で、雪解けが再凍結してできたアイスバーンの通過を想定するものだ。

講師の模範歩行は、とても氷上とは思えない。ガラスに留まるハエや水面に浮かぶアメンボウのように、ぴたりと斜面に立ち、ガッガッガッと素早く軽々と歩く。アイゼンは氷面に刺さるというより、浅くひっかかっているかのように見えるのだが、まったくスリップしないのは不思議だ。

われわれ受講生の歩行は、講師に助けられながら、恐る恐るの様相だ。自分の番になり歩いてみると、傾斜の緩いポイントを探して足を置くのが精一杯、傾斜のきつい面に足を置いて歩くのはとても難しい。講師のかけ声は「フラットフット」、なるべく多くのアイゼン爪が刺さるように心がける。また、カラダの姿勢は、氷壁の傾斜度とは関係なく、頭から足が常に鉛直方向を示すように立つ。斜面に沿うようにカラダが傾いてしまうと、アイゼンには横方向の力がかかり、安定を保てない。また、ピッケルは、力一杯込めて打ち込むと、氷壁を形作るつららが割れてしまい、うまく刺さらない。講師からは「手首のスナップを利かせ、テニスラケットを軽く振るような要領で」とのアドバイスを受けた。もちろん、軽すぎてもダメで、打ち込む瞬間のブレを抑えつつ、微妙なチカラ加減が要る。
アイゼン爪をなるべく深く刺そうとガツン!と踏み込んだ瞬間、講師からストップがかかった。「アイゼン外れてる!」の声にびっくりして足元を見ても、見るからに外れた感じはない。落ち着いてよく見ると、左足のかかとが、アイゼンよりほんの少し内側にずれている。注意しながら斜面を降り、いったんアイゼンを外して再度、靴に装着。そういえば、前回の講習で使ったときよりも、ワンタッチロック操作が軽くなってきた気がする。前後間隔のピンを一段狭めてみたら、強くチカラをかけないとワンタッチロックが締まらないようになった。そう、買った当初はこんな感じだったなあと思い出した。自分が履いているのはカチンコチンのプラブーツなので、そうそう緩むような事態はないと思っていたのだが、改めて装備に油断は禁物と感じた。
トラバースの後は、アイゼンのフロントポイントを使った氷壁の登降を行った。練習というほどの時間はかけられず、こういうものもあるという程度の体験である。氷壁に実際に刺す爪はフロントの2本だけだが、足首を伸ばさず、前爪4本を刺すつもりで蹴り込むのがコツだという。
「難しいですねえ、でもとっても面白くって、もっと時間が欲しいですよ」と講師に話したところ、「本当はこれだけで丸1日費やさないと基本が身に付かないような内容なので、難しいのは無理もありません。次回の赤岳のためには、(足の置き場所があるところでの)トラバースができれば良いです」とのことである。俄然、アイスクライミングに興味が湧いてしまったのだが、都岳連の安全登山教室のカリキュラムには、現在、アイスクライミングのコースは設けられていないのが、残念である。

小屋での夕べ

17時過ぎ、実技講習を終え、小屋に入る。公称定員250名のところ、この日の宿泊者は200名越え、入口は大混雑だ。自分は8人の部屋になった。昼間、行動中はあまり気にならなかったのだが、この頃になると、花粉症の自分は、鼻に受ける刺激を感じるようになったので、急いで、ノーズマスクを装着した。極寒な雪景色の付近一帯、とても木々が花粉を飛ばしているようには見えないが、下界から花粉が登って飛来するのだろうか。あるいは、硫黄の臭いが刺激を増しているのか。
さて、食事までには1時間ほどあるが、特にすることもなく、男ばかりの集まりでやることといえば当然、あれしかない。それぞれが持参した酒類とおつまみを広げ、盛大に歓談。そうこうするうち、食事時間が遅れるとの連絡で、小屋からいただいたワインが1瓶届けられた。もう、食事前に出来あがってしまいそうな勢いだ。
19時近くになって、ようやく食事の準備ができたとの連絡が入り、大食堂に移動。

今晩のメニューは、豪華な牛ステーキ。ひとりひとりの大皿には、ずっしり分厚い霜降り肉に、しめじ、かぼちゃ、玉ねぎが添えられている。それを陶板に自分で乗せて焼くスタイルだ。サラダもある。もちろん、ご飯と味噌汁はおかわり自由。お腹にはすでに酒とおつまみが入っているが、これほどの食べ物が並ぺられたら、食欲は空腹状態と変わらない。美味しくがっつり食べて、大満足。
小屋が満員ということもあるためか、今回、食後の時間での座学は予定されていない。ところが、一部の有志が講師にかけあい、特別にロープワークを教えていただけることになった。希望者は、クライミングギア一式を持って、20時に食堂に集合だ。せっかくの機会、逃してはもったいない。ダブルフィッシャーマンズノット、うさぎの耳のスピーディーな作り方、そして、あのカラビナのカウヒッチ留めなどを反復練習し、自信が付いた。

ロープスリングにはプルージック用の製品が販売されているとのことで、実際に持っている方から見せていただいた。普通のロープより柔らかくしなやかな手触りで、指先にチカラを込めなくても密度高くマッシャー巻きできる。単価は若干高いそうだが、自分たちが使うのは3メートル程度なので、気にするほどの金額にはならない。講師から伺った話では、そうした専用の製品がない昔は、ロープに繰り返しストレスをかけ柔らかくして使ったそうだが、メーカーが保証しない強度を落とす使い方になるので、今は素直に専用製品を求めるほうが良いとのことだ。

うさぎの耳の作り方は、この写真の通り。8の字結びから出る輪で2本をくぐらせれば出来あがり。
21時で消灯となったので、自室に戻り、すぐに就寝。ふかふかの毛布で、とても暖かく眠ることができた。