雪山実技第五回・赤岳登頂 2日目

起床から出発準備

ふいに目覚て時計を見ると、午前2時。起床時刻までまだ1時間ある。寒さは感じず暖かい。枕元に置いた時計の温度表示を見ると、気温は5℃。トイレに行きたい感覚もあるが、あと1時間、もったいないのでまた寝ることにする。
午前3時、セットしていたケータイのワルキューレが鳴り響く。全員目覚め、シュラフや個人マットをたたみ始めた。周りのテントからも、ガサゴソ物音がしている。たたみ終えて中央スペースが空いたところで、コンロと鍋を置き、調理開始。昨晩残った鍋汁を使って、野菜などを追加し、ご飯を入れて雑炊にする。ご飯はパック入り「さとうのごはん」だ。アルファ米より若干重いが、調理が早く、より美味しい。パック入りご飯を煮込んで雑炊にするアイディアは、食材調達を担当されたメンバーの方から提案されたもので、スピード勝負の朝食にはとても向いている。
4時を少し過ぎたところで食べ終わり、紅茶などを飲みながら、登頂のための装備を準備する。硫黄岳のときと同様、最低限の装備に絞ってサブザックに詰める。
4時半頃、出発準備がほぼ整ったところで、赤岳鉱泉の離れにあるトイレに行ってみると、順番待ちの列だ。
用を済ませて終えたころには、もう4時50分。出発予定の5時まであと10分、まずい! 急いでテントに戻り、アイゼンやハーネスを付け、出発装備を持って集合場所に行く。主任講師から時間厳守のお叱りとともに、本日の行動予定に関する注意が全員に向け語られた。この日の行動は、まず、全員で赤岳鉱泉から行者小屋へ行く。行者小屋から先は、文三郎尾根を登るグループと、地蔵尾根を登るグループに分かれ、それぞれ赤岳山頂を目指す。赤岳山頂からは、文三郎尾根を登ったグループは地蔵尾根を下り、地蔵尾根を登ったグループは文三郎尾根を下るルートを採る。そして、行者小屋で合流する。自分が属する班は、文三郎尾根から登って、地蔵尾根を下るグループになっている。
先発班から、行者小屋に出発し始めたところで、忘れ物に気付いた。カメラだ。講師に相談したところ、ありがたいことに、急いで取りに行って良いとの指示をいただく。ただし、テントに近付く前に必ずアイゼンは外すよう、注意を受けた。アイゼンを履いたまま近くまで行ってしまうと、テントや張り綱を傷める恐れがあるからだろう。
急いで戻り、カメラをとり、テントを離れたところで、アイゼンを再装着。早足で歩き出したが、待っている班のメンバーが見える場所まできたところで、アイゼンが外れてしまった。ベニヤ板を渡した通路床に爪が深く刺さってしまい、ぐっと足のチカラを入れた瞬間のことだ。アイゼン装着のときに、慌てて、小さなズレができてしまったのだろう。アイゼンが外れた旨、大声でメンバーに伝え、再度、慎重に装着。メンバーが待つ場所に着くと、他の班はすでに出発した後だ。ごめんなさい!

赤岳鉱泉を出発し赤岳登頂

5時10分過ぎ、赤岳鉱泉を出発。行者小屋へは、中山乗越まで登って降りるルートだ。いきなりの登りで、最初はちょっとキツイ感じだったが、じきにカラダが慣れてきたかなという頃、丘のような場所に出て、緩やかな下り道に変わった。だらだら道をずーっと降りていったところで、行者小屋に到着。

全員到着を確認して小休止の後、6時過ぎ、いよいよ赤岳登頂へ向かう。トレースがしっかり着いているため、道に不安はない。最初は緩やかな登りだったが、進むにつれ、どんどん傾斜が増していく。夏道だったらつづら折りになっているところ、雪のシーズンは直登なので、足のくるぶしを急角度に曲げなければならず、関節の柔軟性が大切だ。

休憩地点で振り返り見ると、雲海を越えた遙か遠くに、青白い峰々が一直線に並んでいる。憧れの北アルプスだ。

森林限界を越えると赤茶けた岩が顔を出し、雪は少ない。鎖場では、鎖に「うさぎの耳」のカラビナをかけて安全を確保し、登っていく。
鎖のない危険箇所では、講師がスノーバーなどを設置して張られたロープに、鎖場と同様、カラビナをかけて登った。われわれ受講生が恐る恐る登っている道の横のトレースがない急斜面を、講師は軽やかに移動し、ロープの状態を確認したり受講生への指示を出す。すごい、雪上歩行技術がまるで違う。


主稜線に乗ったところで左折し、山頂に向け登り進む。突き上げるように、傾斜が急になった。雪の状態は、部分的に融雪が再凍結して氷になった箇所もあるが、アイゼンが難儀するようなほどではない。比較的、良好な状態のようだ。せっかくなので、アイスキャンディーで練習した要領で、手首のピッケルバンドを頼りにスナップを利かせて、ピックを氷に打ち込んでみた。ポン!と刺さり決まると、なかなか楽しい。ピッケルもアイゼンも先端をヤスリでよく尖らせておいたので、ほんの先端だけが氷に食い込んでも、しっかり安定して滑らない。前回、硫黄岳の際のアイスキャンディートレーニングでは、爪先が鈍っていたのを氷上歩行で難儀した原因のひとつと推測したのだが、当たりだったようだ。

赤岳から行者小屋へ

急傾斜の登りでもう限界近いと感じたが、「あともうちょっとで頂上だよ、頑張れ!」という講師の声に励まされ、8時半頃、赤岳の南陵頂上に到着した。

東方向を眺めると、富士山がぽっこり頭だけ雲の上に出ている。爽快な雲上の眺めだ。山頂に立った指導標前で記念撮影をした後、北陵頂上に向けて移動する。南陵から北陵をつなぐ道は、両横がすっぱり切れ落ちたヤセ尾根上にあり、その高度感に気を引き締め、慎重に通過した。

赤岳の北陵頂上から横岳方向の下降ルートは、急斜面。再び、講師が張ってくださったロープにカラビナをかけ、慎重に降りていく。


お地蔵さまのあるところが、主稜線から地蔵尾根へ降りる分岐点だ。軽く休憩した後、西に進路を変え、10時過ぎより地蔵尾根の下山開始。

こちらのルートは、岩が出ていた文三郎尾根とは違って、深い雪ですっぽり覆われている。
途中、極太な鎖のかかった鎖場では、カラビナがぎりぎり何とか掛けられ、ほっとした。大きなカラビナを持っていて良かった。
延々と歩き降りているうち、空腹感が襲ってきたが、うっかりサブザックに行動食を入れ忘れていたことに気付く。少しばかりのキャンディーで空腹をごまかした。

11時過ぎ、行者小屋に到着。文三郎尾根のほうをよく見ると、われわれとは逆ルートのグループは、まだ、文三郎尾根を降りている最中だった。30分ほど待ったところで、全員、無事に下山完了。

撤収し下山

行者小屋から赤岳鉱泉へは、再び、中山乗越経由で移動。朝は締まっていた雪が緩み、ちよっと歩きにくかった。
赤岳鉱泉に着いたところで、昼食を摂った。テントに置いたザックから取り出した行動食は、恋い焦がれた女性にようやく逢えたようなものだろうか。愛おしい思いで味わった。テントを撤収しながら乾かす傍らで、紅茶やコーヒーを飲むと、緊張がようやく解けたのだろう、とても安らぎを感じた。
各自、ザックをパッキングし、班単位に隊列を組んで、赤岳鉱泉から美濃戸口への下山開始。
往路は雪に覆われていた広場が復路では地面が出ていたりで、たった1日の違いでも融雪の進んでいるのが分かる。アイゼンは各自判断でということになり、自分はアイゼンを脱いで歩くことにした。足元の雪がずるっと解け崩れて転びそうになるが、何とか転ばないで歩けるようだ。途中からは、考え方を変え、積極的に滑りながら歩いてみた。そうすると、前後方向の滑りはあまり怖くなくなった。左右に滑るとバランスを崩してしまい、2〜3度ほどズデン!と転んでしまったが、柔らかい雪の上に着地したため危険はなかった。
もう少しで堰堤というあたりで、また、忘れ物に気付いた。手にしていたはずのピッケルがない! 本当に今回は、どうかしている。たぶん、5分ほど前に休憩した広場で置き忘れたのだろう。メンバーに待ってもらうようお願いし、急いで広場まで戻ってみると、良かった、ピッケルがあった! メンバーが待つ地点まで早足で降り、合流。
堰堤から美濃戸口までは、すっかり雪が解け、土の道だ。クルマが入る地点で、共同装備を降ろした。自分は、往路と同じくテントと鍋を担いでいたので、いきなり4〜5kg近く軽くなった。
バスが待つ美濃戸口へは、15時近くに到着した。ここで、われらが班の講師は、メンバーひとりひとりと順番に笑顔で握手をしてくださった。半年近くの勉強と訓練を経た集大成がこの赤岳への山行、無事にクリアした嬉しさで胸いっぱいの思いが込みあげてくる。
バスに乗ってからは、例によってコンビニに立ち寄り、各自、食糧と酒を調達。バス車内では全員にマイクを回して感想を語りあったが、前回の硫黄岳のときよりもみんな疲れが大きいためか、言葉少なく淡々とした様子だった。自分も強い眠けに襲われ、あまり言葉を整理できずに話をしたと思う。
講師への質問タイムでは、文三郎尾根ルートと地蔵尾根ルールの違い、横岳へ縦走する場合のアドバイスなどをいただき、雪の八ヶ岳に再びチャレンジしたい思いを強くした。