雪山机上第六回・春山について


春山の特徴と注意点

講義に入る前に、今回の震災で尊い命を絶たれた方々のため、全員で黙祷を行った。

気象のリスク

春山における危険要素は、めまぐるしい気象変化だ。3〜4日周期で、移動性高気圧がやってくるが、初夏のような暑さから冬の寒さまで、わずかな時間で変化することもある。
春独特の気象変化を理解するためには、天気図を見ることが役に立つ。その際、最新の天気図だけを見るのではなく、最低でも3日以上の連続した時系列で追う必要がある。
最も危険なのは、西高東低の冬型配置で二つ玉低気圧が発生するケースだ。次回、実技講習で登頂する八ヶ岳は、内陸型の独立峰であるため、西高東低の冬型配置になると、稜線には風速30m/sを超えるような厳しい突風が吹くこともある。
ここで題材として示されたのが、2009年4月25日(土)〜4月27日(月)の天気図だ。

気象庁公式Webサイト - 気象統計情報 > 天気予報・台風の資料 > 日々の天気図
http://www.data.jma.go.jp/fcd/yoho/hibiten/index.html

上記、気象庁公式Webサイトで公開されている天気図は1日1図のものだが、この講義で使われたのは、3時間毎に綴った1日7図のものだ。二つ玉低気圧が発生して日本列島を舐めるように移動するさまがよく分かる。
そのとき、鳴沢岳鹿島槍ヶ岳でほぼ同時に遭難事故が発生した。

長野県山岳連盟公式Webサイト - スクラップ集2009年事故遭難
http://www.naganogakuren.net/scrap/scrapSounan/2009/2009sonanKiji.htm
http://www.naganogakuren.net/scrap/2009/20090430kasima.htm

鳴沢岳で亡くなられた伊藤達夫さんは、厳冬期の黒部登攀などで新規ルートを開拓された高名なエキスパートの方である。京都府立大学山岳会から詳細な事故調査報告書が発行されているそうだ。

『平成21年4月 北アルプス鳴沢岳遭難事故調査報告書』の発刊について
http://homepage2.nifty.com/kpuaa/news/news20100428.htm

どちらの事故も、死因の決め手となったのは低体温症だ。昼間、半袖で行動するほどの暑さ(気温10〜15℃)から、低気圧による激しい気象変化により、夜は氷点下まで気温が下降したという。厳冬期の一定した寒さよりも、気温の激しい上昇と下降をもたらす春の荒天こそが、エキスパートの命を奪うほどの恐ろしさなのだ。
九州沖で発生する南岸低気圧(昔の通称…台湾坊主)も、春に発生頻度の高い気象リスク要素だ。台風なみの強風が特徴で、低気圧の中心地点よりも南東方向で風が強い。発生当初は時速20〜30km程度の移動速度だが、日本列島を通過する際には時速50〜60kmまで加速する。
強風は一般的に、風速15m/sを超えると歩けなくなり、風速20m/sを超えると耐風姿勢で耐えるのが精一杯だという。荒天の強風環境に晒されると、1時間ほどで低体温症になりやすくなる。地形を読んで、強風が避けられるような場所へ迅速に退避することが望ましい。

前線通過と気象変化

春山のめまぐるしい気象変化は、低気圧に伴う前線の通過によってもたらされる。

前線(気象) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E7%B7%9A_(%E6%B0%97%E8%B1%A1)

気象学の本を開くと、温暖前線寒冷前線のモデル図が掲載されているが、荒天の前兆となる特有の雲の変化を覚えておくと、安全な行動に役立てることができる。これは「観天望気」と呼ばれる。

観天望気 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E5%A4%A9%E6%9C%9B%E6%B0%97

低気圧は、その中心に向かって反時計回りに風が吹き込みながら、地球自転起因の偏西風に乗って西から東に移動する。太平洋側よりも日本海側を通過するときのほうが、吹き込み方向と進行方向が加算されて風は強くなる。
温暖前線の後から寒冷前線がやってくるときには、疑似好天と呼ばれる現象が起こる。特に、二つ玉低気圧が通過するときは、疑似好天に惑わされた遭難事例が多い。
山岳地特有の気象については、日本気象協会の登山天気Webで気象予測の数値計算結果が公開されている。標高別の風速と気温算出値が特に有益だ。

tenki.jp - 登山天気
http://tenki.jp/mountain/

なお、春分の日を境に日照時間が長くなることは、春山のメリットだ。これは行動時間の余裕につながる。

装備の工夫と行動の心構え

春山では、雪だけではなく雨に濡れることへの備えも必要だ。ゴアテックスなどの防水透湿素材ジャケットを十分に機能させるには、その下の中間着の働きを理解しなければならない。汗など中で発生した水分は、水滴ではなく水蒸気の形になっていないと、防水透湿素材を通って外へ発散させることができない。中間着は、水滴から水蒸気に変えるためのラジエーターの役割を担うので、よく吟味すべきである。
もしもの場合、パーティーの全員が亡くなると、後に残る教訓が得られない。遭難には必ず何らかのヒューマンエラーがあるはずであり、たった1人でも生き残れば、得られた教訓は他の登山者が同じ失敗を防ぐことにつながる。また、自分だけでも生き残る心がけから、結果的にパーティー全員が助かる見込みにつながることもあるので、絶対に諦めてはいけない。
低体温症については、日本の場合、1981〜2年頃になってもまだその対処知識が普及せず、レスキューデスと呼ばれる誤った対処により、救助後に命を失う事例か起こっていたという。以下に示す参考文献のうち、「凍る体(低体温症の恐怖)」は、著者自らヨーロッパ・シャモニーにてレスキューを受け得た体験を元に執筆され、日本での低体温症に関する啓蒙となった名著である。

署名 出版元 著者 ISBN
気象の事典 平凡社 河村武、浅井冨雄、内田英治 ISBN:9784582115079
観天望気のウソ・ホント 講談社 飯田睦治朗 ISBN:9784061327603
カラー 雲 山と渓谷社 ISBN:9784635026154
雪崩の掟 信濃毎日新聞社 林隆三 ISBN:9784784070480
低体温症と凍傷 山洋社 J.A.ウィルカースン、栗栖茜訳 ISBN:9784915594076
凍る体(低体温症の恐怖) 山と渓谷社 船木上総 ISBN:9784635140010
トムラウシ山 遭難はなぜ起きたのか 山と渓谷社 羽根田治、飯田肇、金田正樹、山本正 ISBN:9784635140140
平成21年4月 北アルプス鳴沢岳遭難事故調査報告書 京都府立大学山岳部 事故調査委員会

次回の計画説明

次回の実技講習は、4月16日(土)・17日(日)の2日間で、八ヶ岳連峰の赤岳への登頂を題材に、これまで学んだ雪山技術の総仕上げを行う。
赤岳鉱泉でのテント泊。受講者は29名の予定で、9つの班に分かれる。講師は、全体統括2名と各班単位に1名で、合計11名。文三郎尾根→赤岳山頂→地蔵尾根のルートを採るグループと、逆のルートを採るグループに二分し、長々と登山道を塞がないよう配慮する。