残雪の燕岳・大天井岳 2日目

早朝4時頃、目覚めて外へ出てみると、予想通り東の空はヌケが悪い。朝焼けにはあまり期待できないが昨日の夕暮れよりはマシと思い、コーヒーを飲みながら写真撮影を準備する。

テン場の北側でカメラを構える。燕山荘前は、日の出を見る人でいっぱい。燕岳も槍・穂高もうっすらピンクに染まったが、やはり光が弱く濁ってしまった。
撮影を終えたところで、朝食の豚汁おじやを作る。具は、豚汁パックに刻みベーコンとスイートコーンを加えた。食事を済ませて一休みの後、テントを撤収し、燕山荘に登録札を返却。

山荘入り口には、大天井岳へのルール情報も掲示されている。夏道と異なり直登ルートを採ること、初心者お断りであることが注意点。初心者とはどのレベルなのか? 自分なりにここを解釈すると、自身の技量とルートコンディションを冷静に判断できるかどうかが、レベルの境界だと思う。手に負えない可能性大と感じたら、事故を起こす前に必ず引き返す。このことを肝に銘じ、出発することにした。

大天井岳へ向かう縦走路は、すでに雪の融けた部分が多いためノーアイゼンでいけそうだったが、どの人もアイゼン装着で出発していく。砂地のため、アイゼン装着状態でも爪がガリガリいうこともなく、自分もアイゼンを装着して歩き始めた。

縦走路での最初の難関は、蛙(げえろ)岩だ。夏場は岩の左側(東側)を巻いていくが、この時期は東側に危険な雪庇が張り出している関係で、岩の右側を巻くか、岩の中央を貫くトンネルを通ることになる。中央トンネルは残雪が中の床を押し上げているため、かなり狭そうだ。試しに、冬ルートとペンキ書きされた岩の右側を進んでみた。最初のうちは、アイゼンの爪が岩の隙間に詰まった雪を捕らえ安定して進めたものの、岩の高い位置まで来ると隙間の雪がなくなり、爪が決まらない。しかも、急傾斜で体重移動が難しく、とても30kgの装備を背負って進める状況ではなくなった。残念ながら、今のこのルートは自分の手に負えないので引き返す。
入り口に戻ったところで、対向でたまたま通過した方からアドバイスをいただいた。トンネルはザックを背負ったままでは通過できない。トンネルの途中にある踊場でいったんザックをカラダから抜いて、少し上がった位置でザックをしょい直すのがコツだとのこと。アイゼンは外したほうが良いのか聞いたところ、踊り場から上は急斜面のためアイゼンが必要だという。ちなみにその方は、燕から大天井へ向かったものの、大下りの手前で引き返す判断をされたそうだ。今年はルートの状態が悪すぎるらしい。
アドバイス通り、トンネル抜けをトライしてみる。確かに、踊り場まで来たところでザックが天井につかえ、先に進めなくなった。右側にカラダ1.5個分くらいの空間があり、ザックを外してカラダを抜く余裕ができた。ザックを踊り場に置いたまま、這うようにしてカラダ半分ほど登ってみると、天井に余裕ができた。ここでザックを引き上げてしょい直そうと試みるのだが、このトンネルの急斜面で30kg近いザック取り回しは、はっきり言って無茶だ。ええい、とにかく上げればいいんだろ!と開き直り、手持ちのスリングとカラビナを取り出した。自分のカラダにたすき掛けしたスリングに、ザックの肩ベルトをぶら下げた。チカラを振り絞って這い登ると、ぶら下がったザックも脱皮した抜け殻のように着いてきた。何とかトンネル通過成功!

蛙岩から先は、尾根の西側に露出した夏道のまま進むことができる。大下りの頭まで来たところで、先行する二人の方がその先の行動を悩まれていた。ここまで来るまでに何人もの引き返す方とすれ違い、そして今、目の前に広がるルートの状態を眺め、進むべきか、戻るべきか、決断を迫られる場面だ。彼らから、この自分の考えを問われたので、時刻はまだ午前10時半、予報で天候も安定しているのだから、お昼まで行動して引き返したとしても戻れる、だから行ってみると、伝えた。二人の方は結局、判断が割れてしまい、お1人が進み、もう1人の体調が芳しくない方は戻ることにされた。

大下りの頭から先は、雪庇とハイマツの境目を進むルートが果てしなく続いている。岩場なら足が定まるが、ハイマツの上は落とし穴だらけ。気温が上がって路面の雪はみぞれ状態で、踏み抜きに脚をとられ、なかなか進めない。中には見えないクラックもあり、腰まではまって抜け出すのに一苦労。1時間ほど格闘するうち、青空は隠れ曇天に変わった。

踏み抜き地獄を終えると、今度は為右衛門吊岩の通過だ。基本的に夏道とあまり変わらないが、一部、夏道とは稜線を挟んで反対側で氷結した急斜面の岩場を上り下りする箇所があり、アイゼンとピッケルワークで慎重に進む。

吊岩から先はしばらく緩やかな砂地が続き、緊張の解けるひととき。夏場はコマクサが咲き誇る美しい場所だ。

切通岩を過ぎると、このルート最大の難所、喜作レリーフの最低鞍部が現れる。まず、鎖場の急斜面を下るのだが、夏場に使えるハシゴは雪庇の下でまったく見えない。5メートルほどの高さだが、氷結した1枚岩を降りることになった。プチアイスのクライムダウンだ。アイゼンの前爪とピッケルでホールドを探りながら慎重に降りる。レリーフからの登りは、ハシゴが出ているので苦労しなかった。

ハシゴを終えて少し登ると、右(西)方向へ30メートルほどの登りトラバースが現れる。上の写真は、トラバース中に後ろを振り返り見た様子だが、谷側は非常に深く切れ込み、しかも雪が吹き溜まっているおかけで、足元には深い踏み抜きがところどころ隠れている。この日は気温上昇で雪が緩み、うっかりすると脚をとられてしまいそうで、神経がぴりぴりした。滑落停止が効く斜度ではないし、滑落すれば雪崩を誘発して谷底まで流れ埋まるかも知れない。

トラバースを終えると、後は大天井岳稜線の直登だ。暑さで雪が緩んでいるため、岩場は浮き石だらけ、雪面は踏み抜きだらけ。歩きやすいのは、岩と雪の境目だ。前後に人は居ないので、万が一、浮き石を落としても迷惑にはならないのが救い。標高を上げるにつれ空気の薄さを実感し、カラダの動きも緩慢になっていった。

無事、大天井岳に登頂。どっと疲れが出たが、実はここから先、大天荘まで夏場なら10分足らずの尾根下りが、意外にハードだった。例によって、吹き溜まった深雪が融けて踏み抜きだらけ。標高2800メートルの稜線なので空気がいっそう薄い。ひいひい言いつつ苦労して、何とか大天荘前まで辿り付いた。この日の目的地を大天井岳にした先行者が何人かいたはずだが、テントはまったく見当たらない。確か、冬期小屋ってあったはずだけど、どこだろう? 大天荘の本館山側に、二階からの出入り口は見えるが、閉まって開かず、これは違うようだ。よくわからないので、とりあえずテントを広げ出したところで、少し先に人影が見えた。

人影の先に、半分埋もれた冬期小屋を発見。話を聞いてみると、その方を含めその時点で5人居るとのこと。全員、単独行者らしい。中は10人以上入れるとのことで、自分が加わっても余裕がある。せっかくなので、テント泊の予定を変更し、この冬期小屋へ泊まることにした。
入口はギロチン式で、手で持ち上げるか支え棒で支えないと自重で閉じてしまう。出入りはかなり面倒だ。中は土間と居室に別れていて、居室は2段の蚕棚と窓際の調理スペースになっている。蚕棚は板張で、上段・下段それぞれ5〜6人くらい寝られる広さだ。奥行があるので、荷物は頭や足の先に置ける。気密性が高く、窓はハメ殺し。難点は居室の床に雪解け水が溜まっていたことくらい。最初に入った方の話によると、入口はすでに除雪されていて手間なく入れたとのこと。なお、別棟に冬期用トイレもあったが、そちらの入口は半分雪に埋もれていて、凍結がひどく手に負えない感じだった。
例によって、持っていた2リットルの水はほぼ飲み干していたので、まず、水作りから始めた。人の熱気もあってか室内は暖かく、バーナーの火力もしっかりしている。夕食はプレーンな棒ラーメンにした。
縦走中にすれ違った人の話と冬期小屋で聞いた話を合わせると、根拠のない感覚だけの数字ではあるが、燕でテン泊した人のうち5割が縦走ルートに挑み、1日で常念まで行った人が2割、大天井に泊まった人が1割、大天井に向かう途中で諦めた人が2割といった感じだ。引き返した人は、当日中に常念まで行けないと判断しての行動と想像する。休日の都合で4月30日には下山の計画だったのではないだろうか。
今回の燕→大天井のルートは、夏ルートの倍くらい時間を要する感じだったようだ。その延長で考えると、燕→大天井→常念を1日で歩くのは夏ルートを4時間くらいで歩くスピード感覚になるのかも知れない。
この日、冬期小屋で泊まった人たちのうち、翌日、燕に戻る人は自分だけのようだ。元々の計画ではピストンで燕に戻るつもりだった人もいたが、ここまで辿り付いたルートはもうこりごりで、とくにレリーフから取り付きのトラバースは怖くてもう絶対に歩きたくないという。だから、明日は常念まで行かれるとのことだが、常念までのルートが今までのルートより楽という保証はどこにもなく、それは未知に賭けることを意味する。
自分は、この日歩いたルールに関して、技量を越えた範囲はなかったと思うし、明日の天候も最良とは言えないものの吹雪までにはならないと予想しているので、十分に歩けると考えた。大天井岳の頂上下降から難所のレリーフまでは、早朝の雪が締まったうちであれば今日より危険は少ないだろうし、集中力が確実に維持できる最初のうちに通過するので、リスクは低いだろう。
全員、疲れていたらしく、18時30分頃には揃って就寝した。