「フェイスブック 若き天才の野望」を読んでみた


ISBN:9784822248376
今週木曜日、フェイスブックが、アメリカ証券取引委員会に上場申請書を提出したとの報道があった。ほぼ同じタイミングで運良く「フェイスブック 若き天才の野望」を読み終えることができたので、この本の印象を書いてみようと思う。
自分はフェイスブックを使い始めて10か月ほど経つが、今ではすっかりフェイスブックがプライベートに溶け込んでいる。革新的だの新時代を拓くだの仰々しい謳い文句とは関係なく、電話やテレビと同列で扱う自然な道具の感覚だ。昨年参加の雪山・岩登り講習会で知り合った最近の友だちから、20年以上昔の懐かしい仕事仲間まで、今はフェイスブックでつながり始めている。(フェイスブックこそ、当ブログの更新が手抜きになった原因でもあったりする)
今やさまざまな報道を通じてフェイスブックの生い立ちを知らないはずはないし、遅まきながら道具として使い進むにつれすべてが分かったかのような気分(幻想)に至ってしまうと、この500ページ越えの分厚いノンフィクションを買うにはちょっとした決心が要った。刊行から1年あまり経った今頃になって読み始めたきっかけは、三週間ほど前にWOWOWでオンエアされた映画「ソーシャル・ネットワーク」を見たからだ。

誕生と成長の苦しみ

フェイスブックを生み出した中心人物、マーク・ザッカーバーグ氏について、映画と本書が描く姿は異なり、その印象はまるで別人だ。詳しくは、本書の翻訳者である滑川海彦氏の解説(http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20110225/218620/)を参照いただきたいが、描く視点の違いはまったく正反対といっていい。同じハーバード大接触のあったウィンクルヴォス兄弟両氏からアイディア盗用の訴えを起こされ、共同創業者のひとりであるサベリン氏からも地位を巡って訴えられてしまう。ともに秘密保持契約と引き替えに多額の和解金を払う形で決着しているため、互いの主張の真相は分からない。しかし、滑川海彦氏の解説のとおり、映画は脚色された娯楽作品と割り切って読み解くのが正しいのだろう。
この著書から何より強く印象付けられたのは、起業家を取り巻くシリコンバレー独特の空気だ。シビアにリターンを求めるベンチャーキャピタリストばかりではなく、エンジェル投資家や敗者経験を持つ人々が居てこそ、優れたアイディアは人々の前に花開き、美味しい果実に育っていく。ナップスター創業者のショーン・パーカー氏やネットスケープ創業者のマーク・アンドリーセン氏など、20歳そこそこで天国と地獄を味わった経験を持つ天才たちが御輿を担ぐようにフェイスブックの成長を支えていく様子は、実に興味深い。特に、自ら創った会社から追い出されるハメになったショーン・パーカー氏については、かのスティーブ・ジョブス氏を彷彿とさせる。古い話になるが、1970年代にハイエンド・オーディオで世界中にその名をとどろかせたマーク・レビンソン氏も、あろうことか自らの名前が刻まれたブランド「マーク・レビンソン」を手放してしまい、自分の名前が自分の商品に使えないという冗談のようなことが起こってしまった。会社を創って大きくしていく過程には、いつの時代も敵と味方の壮絶なドラマがある。
思い起こせば自分も20代の頃、新雑誌創刊企画室 室長代理などという仰々しい名刺を持って、新たなネットワークサービスを立ちあげ自分なりの夢を追ったことがあった。意見の食い違いから殴り合いもやらかしたし、当時の仲間からロクな仕事しなかった奴と思われても文句は言えんなあ…などと反省すべきことは数多い。太陽と蟻んコなみのスケール差はあるものの、この作品に描かれているさまざまなシーンからは、当時の自分のつたない敗者経験が走馬燈のように思い起こされた。

IT士農工商と創造力

アメリカと日本で大きく違うと改めて感じたのが、プログラマーの社会階級だ。日本のいわゆるITゼネコンと呼ばれる企業では、プログラマーなる仕事は十把一絡げに下級職と見られやすい。どんなに才能があっても報酬は低く、コンサル>プロマネ>アーキテクト>プログラマーといった士農工商のような階級制度ができあがっている。ハーバードやスタンフォードの卒業生が、グーグルやフェイスブックに入ってプログラマーとして働くのを誇りに思う姿は、日本のITがダメな理由を痛いほど感じるポイントだ。
日本のプログラマーの地位が不幸になってしまったのには、1970〜80年代のソフトウェアファクトリー思想が大いに影響したと思う。
http://www.atmarkit.co.jp/aig/04biz/softwarefactory.html
当時の日本では、ソフトウェア開発の現場を工場の生産ラインに見立てて、低コスト大量生産を目論んでの分業制をとったわけだが、ウォーターフォール型の開発手法には欠点と限界があるし、安い報酬と低い地位に優れた人は就かない。本当に独創的なソフトウェアを、人月工数管理に縛られた工場から生み出すのは、セントラルキッチン式のファミレスで料亭の味を出そうとするくらい、無理のある話だ。
フェイスブックはこの先、どうなっていくのだろうか? 北風のように力ずくで情報を持ち出そうするグーグル、太陽のように暖めて着込んだ情報を脱がそうとするフェイスブック、それぞれのアプローチは違うが、利用者を材料に広告収入で稼ぐモデルが屋台骨にあることは変わらない。その行き着く先が暗い監視社会になることなく、提供者と利用者ともに幸せになれるよう、ソーシャルネットワークの未来は明るくありますように。
きっとザッカーバーグ氏の手帳には、これから後に実現するだろう遠大な構想がまだまだ書き綴られているのだろうけども、彼の秘密の手帳や創造の道具たる黒板(ホワイドボード)でさえも、今のフェイスブックが搭載する機能では置き換えられない現実に、ちょっとニヤリとしてしまう。HTML5の表現力など技術が進むことにより、手描きを交えたブレインストーミングソーシャルネットワーク上でできるようになったら、人間が発揮できる創造スピードは今より飛躍的に高まるんじゃないだろうか。手描きそのものはフェイスブックアプリの仕組みでも対応できるだろうけど、創造の道具へと昇華させるためには、思考を妨げないUIに併せ、手描きだけじゃない何かも要ると思う。
未来の話はともかく、フェイスブックがどのような経緯を経て今に至り、どのような考えで運営されているのかを理解するためには、本書はベストな情報を提供してくれる存在だろう。

本のカタチと人の流れ

さて、500ページ越えの「フェイスブック 若き天才の野望」、綿密な取材を反映してか物語に登場する人物も数多い。一応、巻頭には代表的な人物の写真と紹介説明があるのだが、カタカナで羅列された欧米人名(姓で語られることもあれば、名で語られることもある)を追うのはなかなか辛い思いだ。これがもし「井深は幸之助との約束を思い出した」といった日本人名での記述だったら、読解に要する労力はまるで違うだろうに…。
同じ思いをされた方がいらっしゃったようで、ありがたいことに人物相関図が作られ公開されている。文章だけじゃ覚えきれない人間関係も、図解ならば一目瞭然だ。
http://colo-ri.jp/develop/2011/10/facebook-character-relations.html
こういったヘビーな作品は、分厚くて重い紙の書物よりも、薄くて軽くキーワード検索もできる電子ブックで読むほうがいいのかも知れない。いずれ各語にメタデータがくっ付いて、人名だけボールド表示するとか、姓は赤マーカーで名は青マーカー表示するとか、読み手が好きにいじれたらいいなあ。
人物相関図で思い出したが、昨年の夏頃にシリコンバレーの転職相関図とでもいうべきチャートがさまざまなブログで話題になった。
http://morganmissen.com/post/6292102560/where-silicon-valley-tech-talent-goes
これを見ると、今一番人気の会社はフェイスブック。かつての人気企業、Yahoo!マイクロソフトからは、どんどん人が流出しているらしい。祇園精舎の鐘が聞こえそうだ。いやいや、「インテルシリコンバレーの外で設計した製品のほうが優秀じゃないか」とは、わが勤務先の大ボスの弁。めまぐるしく変化するシリコンバレーじゃうまくいかない技術開発分野があることも、また現実の一面なのだ。