風評とパニック神話


この1か月近くほど、リスク管理の大切さを身に染みて感じたことはない。回避・軽減・分散・受容などの分類セオリーや出口戦略まで揃えたとしても、いったん「万が一の場合には…」というフレーズをクチにしたり耳にすれば、これからは誰もが3.11以前とは違った感覚で身構えるのではないか。

風評のパワーを甘く見てはいけないのではないか?
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2011/04/post-282.php

NEWSWEEK誌のオンラインコラム(冷泉彰彦氏)だが、大変に考えさせられる記事だ。風評は人々の切羽詰まった意識で暴走するのではなく、日常の延長線上で選択の余地があるとき連鎖拡散するという分析である。私たちひとりひとり、より良い選択と思ってすることが、マクロでは暴力装置として機能する恐れを、常に自覚しなければならないのだろう。

「パニック神話」で情報統制 東日本大震災
https://aspara.asahi.com/blog/tairiku/entry/cIP5F2lqeA
流言・デマによるパニックを心配して情報を伏せている方々へ
http://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public_html/etc/riskcom.html

朝日新聞の記者(黒沢大陸氏)によるオンラインコラムと、そこから参照されている防災学識者(静岡大学・小山真人教授)からの提言。

  • 人々はパニックを起こす
  • 警告は短く出すべき
  • 誤報を出すことは、一方的に悪いことである
  • 情報源は1つにすべきだ
  • 人々は警報後、ただちに防衛行動をとる
  • 人々は理由付けがなくても指示に従う
  • 人々はサイレンの意味がわかる

以上はすべて、防災情報をめぐる神話(誤解)なのだという。
今回、直接的には政府・行政・東電などからの情報発信手法への苦言であるが、これも私たち自身、胸に手を当てよく考えるべき示唆があると思う。仕事におけるプロジェクトや、登山でのパーティー行動においても、メンバーとの情報伝達は上記の神話に陥っていないか、チェックすべきだ。
そういえば以前、コンサルティング業務でとある企業のCEOの方に説明を差しあげた際、何度も「それは本当か?」と念を押され、自分からは「こうなってますので絶対に大丈夫です」と返し、押し問答のような有り様になったことがある。いわゆる「そんな装備で大丈夫か?」「大丈夫だ、問題ない」というやつだ。そのときは、事前にCEOの側近の方から「不安を与えないよう万全な解決策であることを説明してください」との依頼をいただいたのであるが、莫迦正直に「大丈夫だ」戦法をやっては、いけなかったのだ。最終責任を負う人というのは、綺麗事ではない真実こそを知りたいのだ。
あらためて思うが、リスク管理とは、人を安心させるものではなく、人に安全を与えるものであることを、忘れてはいけない。