10年に一度級の鏡平

10月5日(土)〜9日(水)の4泊5日で、紅葉本番の鏡平〜双六岳〜三俣蓮華岳を歩いてきた。今回、写真機材は重装備で臨んだが、4泊とも山荘泊にしたため総重量で20kgを割ることができた。

1日目 新穂高温泉→わさび平→シシウドガ原→鏡平山荘

今回も毎日アルペン号で前夜に東京竹橋を出発。三列シート車両のプレミアムカーに乗ることができたので、そこそこ眠れて快適だった。新穂高温泉には5時40分頃に到着。日が短くなってきて、6時近くになっても薄暗かった。

登山届けポストのある左俣林道入口のゲート付近も、少しずつ黄葉の色付きが始まっている。しかし、今年は異常高温で秋のひんやりした空気があまり実感できない。まるで9月前半くらいの感覚だ。

わさび平小屋前の小川で美味しい水を水筒に詰めた後、小池新道入口まで来てみると、曇り空ではあるが紅葉の進み具合がよくわかる。明らかに二週間前とは違う景色だ。
湿度が高く汗が乾きにくいのは辛いが、カンカン照りではないのが救い。翌日からの天気予報が芳しくないためか、登りの人は大変に少ないようだ。三列シート車で睡眠が摂れたことと荷が軽いこともあり、コースタイムよりやや早めでシシウドガ原に到着。

二週間前に満開だったシシウドの花が意外に持っている。枯れ際の紫色に変化した花もあるが、まだまだ白い花も多い。せっかくなので、前回イマイチだった撮影のリベンジを挑んでみた。今回は道をすれ違う登山者がほとんどいないので、三脚を立てても迷惑にならないのが救いだ。構図と被写界深度をじっくり調整しつつ、光を探しながら30分ほど取り組んでみた。今の自分として最大限に頑張った写真を撮ることができた。なお、後で鏡平山荘の方にお聞きしたところ、今年のシシウドの開花規模はやはり別格だったとのこと。コバイケイソウに続いて、数年に一度級のチャンスに恵まれたことになる。

熊の踊り場の手前に立つ指導標がクマにかじられた様子も、念のため撮影した。こうして現物を見ると、クマの怖さを改めて感じてしまう。

鏡平には11時半頃、到着した。ジャストタイミングで紅葉の最盛期、曇り空で槍穂高は見えなくても、素晴らしい景観だ。ダケカンバの葉の勢いが例年とはまるで別物で、深紅のナナカマドの鮮やかさも、自分が過去に鏡平で見た中でも最高に美しい。
山荘の宿泊手続きを済ませ、昼食で牛丼を食べた後、カメラとレンズだけ持って弓折中段まで偵察に行ってみた。緑一面の時期は退屈な急登も、紅葉のトンネルを歩くこの時期には本当に楽しい道へと変わる。ミントが混じったように独特な秋の匂いを吸い込むたび、カラダが浄化される思いだ。

薄曇りで弓折中段から見下ろす鏡平の景観は、印象派の絵画タッチのようにモザイク状の色彩が入り混じり、眼に優しい美しさだ。冷たい風に晒されたためか弓折中段付近の葉は枯れつつあったが、弓折岳の斜面には鮮やかな葉も見られ、必ずしも標高の高い地点から枯れているとは限らない。大ノマ岳の稜線や秩父平付近の紅葉にも期待が持てそうだ。
鏡平に降り戻った後、再び鏡池周辺で撮影を楽しんだ。カラダが冷えたところで、山荘に入って暖かいコーヒーをいただく。この日の宿泊者は意外に少なく20名ほど。部屋は今回、この時期に常連の写真家お二人と同じ部屋に組んでいただいた。うち、お一人とは二年ぶりの再会となる。
17時の段階で天気予報を確認したところ、翌日の天候は好転し、晴れのち曇りに変わった。午前11時くらいから曇るようだ。そして翌々日は1日ずっと晴れの予報。入山前に立てた計画では二日目に三俣までの移動を予定していたが、この様子ならば三俣までの移動は三日目にまわすほうが良さそうだ。今日明日と鏡平山荘に連泊することで決定。

夕食少し前、雲が切れて槍の穂先が見え始めた。西鎌尾根に薄いベール状の滝雲がかかっている。背景空が真っ白なため、コントラストが足りず写真映えはしないのだが、肉眼では大変に幻想的で印象深かった。
夕食後はそのまま食堂で、写真家お二人とともに遭対協の方もまじえ、消灯時刻まで歓談で盛りあがった。

2日目 鏡平山荘→シシウドガ原→大ノマ乗越→秩父平→弓折岳→鏡平山荘

この日の夜明けは雲ひとつなく快晴の空で、写真的には逆光のシルエットのみ。敢えて撮ることもないので、ゆっくり朝食を摂って過ごす。6時半を過ぎたところで、刷毛で掃いたような美しい秋のベール状の雲が現れた。樅沢岳の稜線に光が当たり始め、雲が落とす陰と半逆光の紅葉が実に美しい景観を描き出した。山荘前の休憩広場で、ひょうたん池の水面に樅沢岳がきれいに倒像を映す位置がある。そこに三脚を立て、見事に撮影成功。

鏡池にも絶好の撮影タイミングがやってきた。準広角では、単焦点レンズを使ってもこの写真のようにゴーストとフレアに悩まされる厳しい光条件だったが、掌でハレ切りしながらアングルを工夫したりで何とかコントラストのとれる条件を見つけ出した。自分が今だかつて見たことのなかった最高条件の紅葉、美しい秋雲のベール、槍の穂先にかかる流れ雲、落ち葉がほどよく点在する水面など、パーフェクトと言って良いほどのパーツがすべて揃い、身震いするほどの絶景だった。
ひととおり撮影を終えたところで、シシウドガ原に降りてみることにした。以前から気になっていたシシウドガ原から大ノマ乗越に至る荒廃道を確認してみようと思ったからだ。

シシウドガ原からの登り始めは、草が茂る藪の中だ。何となく道らしきものはあるのだが、雪崩れなどで堆積した土砂が被さっているらしく、ところどころ辿れなくなっている。藪の高さはだいたい腰程度までだし樹木を越える必要もないので、苦労するヤブ漕ぎにはならなかったが、草の中にはアザミが多くチクチク刺さることだけが辛い要素だ。

100メートルほど登ると森林限界を越えるためか、草の背丈がぐっと低くなり、道がしっかり見えるようになる。そこからの先は、現役の登山道を歩くのとほとんど変わらない。

大ノマ乗越から100メートルくらい下までの範囲は、ガレ場の道になっている。何十年か前に付けられたはずのペンキマークもしっかり読み取れるので安心だ。

乗越の直下は、大ノマ岳側の斜面を50mほどトラバースする形で稜線に出る。最初のヤブ漕ぎでちょっとしたルーファイミスと途中二回の大休止を含めて、だいたい2時間半ほどで辿り着けたので、もしもきちんと整備された登山道なら、1時間40〜50分程度のコースタイムに収まるのではないだろうか。大ノマ乗越から弓折乗越に向かうとすれば、この荒廃道コースを採っても鏡平経由のコースを採っても所要時間は変わらないと思われるが、笠ヶ岳方面に向かうのならば、かなりの時間短縮になるだろう。笠新道を登るよりは圧倒的に楽なルートだし、大ノマ岳や秩父平などの景観も、笠新道にはない魅力となる。荒廃道になってしまっているのは惜しいルートだと思うが、他の道の整備を控えてまでどうしても整備してほしい道なのか?と問われれば、ためらってしまうものだとも思う。小屋開け前や小屋閉め後の微妙な時期は、シシウドガ原〜鏡平や鏡平〜弓折乗越のトラバース道が雪に埋まって使えない場合もあり、そうしたときはこの荒廃道が役立つだろう。

大ノマ乗越でパンなど昼食を摂って休憩した後は、笠ヶ岳へ向かう稜線を歩いてみることにした。

大ノマ岳の北側斜面には日本庭園のような美しい広場があり、自分は勝手に「大ノマ平」などと呼んでいる。見頃に染まったナナカマドがあったが、ここは貴重な高山植物が育つ場所でもあり、植生保護のため立ち入りが制限されて近付けないのが残念だ。二週間前にいくつか見られた葉の傷みが少ない綺麗な緑のナナカマドは、期待に反して枯れ葉が目立ち、美しく染まるものは残っていなかった。

秩父平に着く頃には、辺りがすっかりガスに覆われてしまい、秩父岩はほとんど見えなくなっていた。でも、美しく染まったナナカマドが点在し、幻想的な景観を形作っている。実に写真家冥利に尽きる場所だと思う。

秩父平でひととおり撮影を楽しんだ後、鏡平へ引き返すことにした。途中、登山者とはまったく会わないのだが、大ノマ岳の山頂近くでは、親子の雷鳥に出会った。雛はすっかり大きくなり、母親とほとんど変わらないカラダだが、眼はまだクリンとしていて鳴き声もまだ雛っぽい。冬毛への生え代わりは親より早く進んでいるようだ。

大ノマカールの弓折岳側斜面には、形の良いダケカンバが生えていて、印象的な景観を作っている。
鏡平山荘には16時半頃、帰り着いた。夕暮れでもガスは切れることなく、槍穂はまったく見えずだった。夕食は連泊仕様メニューになり、いつものコロッケの代わりに魚をいただいた。この晩の宿泊者は前夜より少なく12名ほど。前夜と同じ部屋を割当ていただいたが、同室に泊まる方はいらっしゃらなくなり、自分ひとりで独占状態になった。
天気予報によると、太平洋沖で発生した台風24号が日本列島を直撃するコースをとるらしく、自分が下山を予定する10月9日には最も警戒が要るようだ。1日早めて下山の選択肢も踏まえつつ、台風情報をウォッチするほかない。しかし、台風接近時には面白い雲が現れやすく、不謹慎ながら写真家にとってはワクワクするチャンスだったりもするのだ。

3日目 鏡平山荘→弓折乗越→双六小屋→双六巻道→三俣山荘


この日も夜明けの空は雲ひとつないピーカン、撮影は諦めてゆったり朝食を摂った。前日と違ってまったく雲の出る雰囲気はなく、予報通り1日ずっと晴天が続きそうだ。7時半頃、鏡平山荘を出発し、三俣へと向かう。

快晴の空はとてつもなく澄み渡って、PLフィルターの効き目を最大にして写真を撮ると、まるで宇宙空間のような濃紺の空に映る。強い日差しを受けて暑く、日焼け止めを腕にたっぷり塗ってから袖まくりして歩いた。

双六池のキャンプ地もテントは二張りしかなく、ひっそりしていた。双六小屋で缶ジュースを1本購入し、喉を潤す。小屋の方と立話し、周辺の紅葉情報をいただく。台風に備えるためか、外トイレ前の水場も取り払われていた。手持ちの飲み水は残り1リットル程度のため、巻道途中で水を補給することにした。

巻道の途上にはよく染まったナナカマドもあるのだが、ピーカンの直射日光下では締まらない写りだ。昼食を摂って雲を待つことにする。
巻道途中の水場に来てみると、上部の雪渓が溶けきったのか、水はすっかり枯れていた。しかし、下のほうから水流の音がするので、湯俣方向に向かうガレ場を20〜30メートルほど降りてみると、思った通り湧き水があった。伏流水と思われ、雪渓の溶け水よりずっと旨い。たぶん、簡単には枯れない水だろう。

待望の湧き出した雲は、もくもくとした姿であっという間に槍穂の稜線を覆い尽くした。湿気と暑さのためか、爽やかな秋雲は無理らしい。しかし、湯俣谷を這うように染め尽くす紅葉は素晴らしく、雲が陰を落とし立体感を描き出すさまは、とてもありがたい。

三俣山荘へは14時40分頃に到着。ここでもテントは二張りほどしか見なかった。

宿泊手続きを済ませた後、展望食堂でケーキセットをいただいた。大きくて美味しいケーキで、サイホン抽出のコーヒーとともに、三俣に寄ったらぜひとも味わいたい品だ。
黒部源流域の紅葉も素晴らしく染まっているらしいのだが、撮影機材を持って向かったら1〜2時間程度で帰れるとは思えないし、今回の行動範囲は山荘までと決めていたので、夕食までの時間は山荘周辺を歩く程度に留めた。

三俣山荘の前には、迷路のようなハイマツの先に知る人ぞ知る展望台がある。(ヘリの荷捌きなどに使われている場合もあり、立ち入り禁止箇所とも隣接しているので、山荘の方の了解を得て状況を確認してから行くべき場所)
ここでも、谷に広がる紅葉が素晴らしい。よく見ると、紅葉の手前にはまだ雪渓が残っている。後で山荘の方に伺ったところ、いつもの年ならこの雪渓は紅葉の前に溶けきってしまうことが多いそうだ。もしも雪渓の近くまで降りられたなら、面白い写真が撮れそうな気がするが、時間も装備も不十分な状態でこの急斜面を降りるのは無茶だろう。

夕暮れ前は、望遠ズームレンズを使って、雲間から差し込む光に照らし出される紅葉の撮影を楽しんだ。常に被写体には不自由しない環境で、ありがたかった。

三俣山荘の夕食メニューは、鹿肉を使ったジビエシチューだ。一昨年に泊まったときはエビフライとハンバーグだったが、三俣山荘を運営されている伊藤圭さんのお考えで、このメニューに変えられたとのこと。個体数の著しい増加が問題になり、各地で殺処分されているニホンジカを、山の食事で利用しようという提案だ。スパイシーに調理された鹿肉で臭みは感じず、とても美味しかった。宿泊者が少なかったこともあってか、シチューのお代わりも自由で、ありがたく大盛りで二杯いただいた。

4日目 三俣山荘→三俣蓮華岳→双六巻道→双六小屋→弓折岳→鏡平山荘

この日は朝食を弁当にしていただいて、夜明け前に三俣蓮華岳へ登頂することにした。午前3時に起床し、3時30分頃に出発、4時30分頃に三俣峠に着いた。山荘から三俣峠までの道は、前日にお会いした若く美しき単独行の女性にたまたま同行いただくことになり、道中、ありがたくも楽しく会話させていただいた。夜明け前の暗闇と台風接近の強風の中での急登は、モチベーションの維持が難しいかも?と予想していたが、意外な幸運があるものだ。その方は、双六から西鎌尾根を歩いて槍に登頂し、夕方前に安全圏の槍沢まで降りるとのことで、三俣峠で分かれてすぐ巻道へ向かわれた。自分は、夜明けのシーンを撮影するため、三俣蓮華岳に登頂した。
5時少し前に山頂に到着し、三脚を立ててカメラをセッティングした。気温はこの時期にしては異様に暖かいのだが、台風接近の影響で山頂は風が強かった。遠望がよく効くようで、北方向の遙か向こうには富山市魚津市と思われる街明かりが見える。夜明けが近付くにつれ、大天井岳の上の空が深紅に染まるとともに、小さな吊し雲がいくつも出現した。

5時43分におとずれた日の出の瞬間、穂高の上空の雲が美しく染まり、絶好のシャッターチャンスを得た。黒部五郎岳薬師岳のモルゲンロートも期待したが、残念ながら朝日はすぐ地平線際の曇りに遮られ、鮮明な陽光は届かなかった。

一通り山頂での撮影を済ませた後、三俣峠まで降りて空を見上げると、激しく大気が攪拌されているためか、刻々と雲の様子が変化する。

風の影響を受けない場所まで降りたところで、朝食を摂ることにした。三俣山荘の弁当だが、以前のものより進化している。さっぱりした酢飯に岩魚の甘露煮や蓮根が乗り、ぶ厚い出汁巻き玉子や鶏つくね串などが添えられていて、とても美味しい。また、容器はビニール加工された紙製で、食後は小さく折りたためて邪魔にならないのが嬉しい。

食後、巻道を降り進み始めて、ふと、振り返ったら、鷲羽岳の上空に面白い雲が湧き始めた。絶好のシャッターチャンスを感じたので、その場にザックを放り出し、撮影機材だけ持って大急ぎで三俣峠に向かって走り戻った。水晶・ワリモ・鷲羽の展望が利く場所に三脚を立て、大急ぎで構図を決めシャッターを切った。PLフィルターがよく効く方向にあったため、半分くらい効かせてみると、アニメっぽい不思議な絵柄に仕上がった。

湯俣谷に広がる紅葉が朝の斜光を浴びて美しい陰影を描いていた。しかし、ちょうどよい前景がなかなか見つからない。辺りを観察するうち、V字状ルンゼの急斜面の途中で美しく色付くナナカマドを見つけた。時間はまだ十分にある、あそこまで降りてみよう。沢登りの要領で、浮き石だらけのルンゼを慎重に降りた。絶妙な構図の場所まで来たところで、雲が厚くなり、日差しを弱めてしまった。すぐに雲の窓が開く様子はないが、台風接近で上空の大気は攪拌されているので、きっとチャンスは来るはず。そう信じて、足場の悪い岩場で1時間半ほど待った。待ちに待った光が降り注ぎ始めると、重厚な黄葉の絨毯が華麗に輝き始め、前景のナナカマドも見事に透過光で浮かび上がった。その瞬間、何年も前から思い描いていたイメージ通りの風景が、自分の写真になった。

双六台地の北側斜面には、ナナカマドの群落が妖艶に染まっている。前日見た午後の光と今日の午前の光ではまったく違って見えるのが、また不思議だ。
双六小屋に到着すると、稜線なみに風が強く、小屋の方が台風に備えて窓に雨戸を被せている最中だった。お昼近い時刻なので、双六ラーメンと缶ジュースをいただいた。

弓折乗越まで来ると、槍穂の稜線をちょうど雲が覆い始めた。背景の空が白く雲っているので、写真的にはコントラストの付かないのが残念なところ。大休止の後、14時頃、鏡平山荘に到着。

鏡平の周辺はすっかりガスに覆われてしまったので、夕食までの時間は近隣の紅葉撮影を楽しんだ。弓折岳や樅沢岳の遠景がガスにぼやかされ、なかなか幻想的だ。日没直前にガスが降りて槍の穂先が見えるようになったが、夕陽は届かず、赤く染まることはなかった。
この日の宿泊者は10名に満たなかったと思う。夕食は通常メニューだったが、小屋閉め近い関係か、ありがたくも、おかずを大幅増量していただいた。
心配な台風24号は、予想円の中心よりも日本海側に流れたことと、台風そのものの勢力も減退してきたため、思ったよりも軽い影響で済みそうだ。しかし、稜線から離脱するのが賢明なことは確かだろう。最接近するのは明日の午後とのことで、心配なのは帰路の高速バスの運行だ。中央高速道の速度制限や通行止めがないことを祈る。
食事を終えて床に着いた19時過ぎ、突然、ドシーン!と強い衝撃を感じた。台風の影響で落石でも落ちてきたのか?と思ったが、山荘の建物に破損はなかったようで、一安心。後で聞いたら、穂高付近が震源地震があったとのこと。

5日目 鏡平山荘→シシウドガ原→ワサビ平→新穂高温泉

最終日の夜明けは霧雨で、視界はあまり利かない。ときどき空が息をするかのように風が吹く。鏡平でそれなりの風を感じるということは、稜線では恐らく、突風が吹いているのだろう。予報を見ると、15時頃に最も接近するようだ。朝食を済ませて辺りが明るくなる頃には、霧雨が止んで若干、視界も効くようになった。山荘の方に、そろそろ出発しますと伝えたところ、コーヒーでも飲んでいってくださいとの言葉をいただき、ごちそうになった。

7時40分頃、山荘を出発し下山開始。鏡池では、落ち葉が風で流されて端に寄せられていた。小池新道ではときおり小雨が降るが、風は大したことないし小雨もすぐに止むので、合羽を着るほどではない。雨傘で十分しのげる範囲だった。

秩父沢では、橋の下が大きく掘り下げられていていた。土砂が堆積するにつれて水面が高くなり、増水したときに橋が耐えられなくなるという。昨日までに山荘の方々の手で工事された成果だ。

小池新道入口まで降りてみると、5日前よりも色付きが深まっていた。1〜2週間後には、この付近も美しく染まっていることだろう。
10時ちょうどに、ワサビ平小屋に到着。写真撮影がないと早いものだ。

左俣林道から見える錫杖岳のまわりも黄葉で染まり始めていた。クリヤ谷の紅葉もいつか見に行ってみたいものだ。
新穂高温泉から路線バスに乗り、11時半、平湯温泉に到着。帰りの新宿行き高速バスは14時半発の便を確保した。時間があるので平湯の森まで行こうとしたら、土砂降りの雨に変わり、外を歩ける感じではなくなってしまった。仕方ないので、平湯バスターミナルの温泉と食堂でくつろぎ過ごした。
定刻直前で高速バス乗り場に行ったところ、前日の夜明け前に三俣への登りを同行していただいた、若く美しき女性と再会した。無事でしたか?と先に声をかけられ、はい、お互い無事で良かったですね、と声を返す。その方は予定通り昨日のうちに西鎌尾根を越えて槍に登頂され、昨晩は槍沢ロッヂに泊まられたとのこと。やはり西鎌尾根や槍の穂先はすごい強風で、大変だったそうだ。緩いルートをゆっくり歩いた自分などとは、まるで違う。
帰りの中央高速道は幸い、通行止めも速度制限もなく無事、定刻に到着。さまざまな幸運に恵まれた5日間の山旅だった。