大地震

オフィスでの出来事

午後3時ちょっと前、東京・竹芝のオフィスで仕事中、大きな揺れに驚いた。初動から本揺れまでにはある程度の時間差があったので、震源地は遠いはず。(この場所では)それほど大変なことにはならないだろうと思ったが、揺れはなかなか止まらない。湾岸に立つ高層ビルのためか、まるで船に乗っているかのように、ゆーらゆーら、気持ちが悪くなるほどだ。
ようやく揺れが収まったと思ったら、ほどなく、窓から見えるフジテレビ本社ビルの裏手から、黒煙がもくもくと上がってきた。ここでようやく、只事ではないことに気付く。幸い、こちらのオフィス内に特に目立った事故はなさそうだ。各自、社内の担当箇所を点検する。
館内放送が響く。「こちらは防災センターです。ビル内設備を点検していますが、安全の確認ができるまでの間、皆さんは外の広場に避難してください。エレベーターは停止しています。階段で降りてください」…。フロアの最高責任者からも、貴重品を忘れず落ち着いて放送に従うよう指示が出た。全員で、高層ビルの階段を降り始める。自分にとってこの階段は、毎日3〜4回トレーニングの手段として登り降りしているので、どうってことはないのだが、大部分の人にとってはかなりしんどい様子。人の収容率はわりとゆったり目のビルなので、階段が混雑渋滞するほどにならないのは救いだ。
広場に出てみると、もう、すごい人だかりができている。あたりをうろうろしながら、我が会社のメンバーのかたまりを探し出した。こういうときは、背丈があると目が利いていい。管理部の部長から自分に「一番背が高いからこれ持ってくれない?」との指示。社名が書かれた大きなプラカードを渡された。頭上高く掲げ、なるべく多くの人に見えるよう、ゆっくりと向きを往復させる。見慣れた顔がつぎつぎ集まってきた。部単位での点呼開始。プラカードは、10分くらい経ったところで、外人研究員に交代。背が高いといっても、こっちは所詮日本人。アングロサクソンの長身者にはかなわない。
プライベートな安否確認をしたかったが、ケータイの通話はキャリア側で規制がかかり、まったくつながらない。大切な人宛てに問いかけのメールを打った後、ワンセグでニュースを見てみると、やはり、すごいありさまだ。東北地方の太平洋側全域で被災範囲が広い上に、津波がやってくる。東京湾・竹芝のこの広場は大丈夫なのか? 防災放送が響いた。「点検が完了しました。館内の設備に異常はありません。皆さん、館内に戻ってください。エレベータは停止していますので、階段で」…。周りの人たちがつぶやいている。「あの階段登るのか…」という、ため息のような声だ。
階段を登り慣れた自分は、フロアに一番乗り。窓から湾岸の様子を眺めると、さきほどの黒煙は消えていた。港では、多くの船が沖合いに浮かんでいる。接岸していると津波の被害を受けるからだろうか。
一息ついたところで、関係会社への電話連絡を行い、状況を確認していった。幸い、我が社に影響する問題は、どこもない様子。ケータイのメールは、ぜんぜん着信がない。新着確認操作をしてみると、思った通り、キャリア側で溜まっていたらしく、何通か入ってきた。しかし、大切な人からの返事は入っていない。都内に居るはずだからたぶん大丈夫、キャリア側でメールが詰まっているだけだろう、と自分に言い聞かせる。こういうときのため、安否確認の手順を決めておけば良かった。
首都圏の鉄道網はすべてストップ。役員より、徒歩で日没前に自宅にたどり着ける者のみ帰宅するよう指示が出たが、ここ竹芝でそのような恵まれた人は、ほんの一部だ。しばらくすると、JRからは本日復旧は無理とのアナウンスが出ている旨、報道があった。政府の枝野官房長官からも、無理な帰宅は自粛し、今夜は職場等に留まるように発言が出ている。今、テント装備があったらなあと思うが、まあ、仕方ない。丸ごしで一泊するしかない。
ときどき余震が現れるたび、ここ竹芝の高層ビルにはゆらゆらと海上の船のような大揺れが起こる。女性の中には、乗り物酔いのように気分が悪いとの声も出てきた。
何度かケータイのメール新着確認をするうち、ようやく、大切な人からの連絡が届いた。無事だ、良かった!

帰宅する

17時を過ぎたところで、コンビニまで買い出しに降りた。恐らく、17時30分を過ぎると、多くの人が買い出しに来るだろう。そうなれば、あっという間に食料在庫が尽きるのは目に見えている。先手必勝だ。目論見が当たり、棚にはまだ、おにぎりや弁当があり、ほっとする。
長い階段を再び登ってオフィスに辿り付く。今日はなかなかいい登山向きトレーニングできている。
食事を済ませた後は、周りのメンバーと話をしながら、ワンセグでニュースを見て過ごす。本当は酒でも飲んでワイワイやりたいところだが、自分のような不謹慎な人間は少数派らしい。
21時を過ぎると、一部区間に限ってはいるが、地下鉄の運行復旧のニュースが入ってきた。22時少し前、営団南北線都営三田線の復旧を知り、帰宅に踏み切ることにした。まず、竹芝から芝公園駅まで徒歩で行き、芝公園駅から白金高輪駅まで都営三田線白金高輪駅から川口元郷駅まで営団南北線(+埼玉高速鉄道)、そして川口元郷駅から自宅まで徒歩というルートだ。
オフィス泊組のメンバーに挨拶し、竹芝を出発。途中、道路は多くの車で溢れ、渋滞している。歩いている人も多い。公衆電話は長蛇の列だ。予想通り、コンビニは食料棚が空っぽになっている。道路がこれでは物流が止まってしまい、しばらく補充は効かないだろう。
20分ほどの徒歩で芝公園駅に到着した。ホームに降りてしばらく待ったが、なかなか電車が来ない。しかも、自分が行きたい白金高輪駅までは運行しておらず、隣りの三田駅までの折り返し運転だという。これなら直接、白金高輪駅まで徒歩で行くほうが早いと判断し、駅員にお願いして、モバイルパスモの入札を取り消してもらった。
三田付近は、新卒で就職した当時の会社が近くにあったので、ちょっと懐かしい。三田から白金高輪までは、けっこう長かった。パケット通信にキャリア側の規制はかかっていないようで、スマートフォンGoogleマップは、問題なく使えた。
白金高輪駅に着いてみると、電車はホームに留まっていて、すぐに動く気配はない。寿司詰めというほどではないが、車内はまずまず混んでいる。隙間に乗り込み、電車が動き出すのを待った。
23時半頃、ようやく電車が動き出した。途中、駅に停車するたび、乗り込む人がどんどん増え、飯田橋駅に着く頃には、ものすごい寿司詰め状態になった。発車のたび、扉の開閉が何度も試され、無理に乗らないでくださいという悲痛なアナウンスがホームに響き渡る。同じ車内に小さな子供を連れたお母さんも乗っているらしく、大きな鳴き声とそれをなだめる声が耳に響く。王子駅で若干人が減り、ようやく手足が動かせるようになったが、すでに全身汗だくだ。
午前1時ちょうど頃、目的地である川口元郷駅に着いた。30分ほど歩いて、やっと自宅に到着。部屋に入ってみると、案の定、すごい有り様だ。本棚が倒れて床には本が散乱しているし、突っ張り棒で吊したものもすべて落下。食器棚はあり得ないほど場所が移動していたが、倒れていなかったため、中身の食器類は割れることなく無事だった。30分ほどで簡単に片付けを済ませ、就寝。