雲ノ平から高天ヶ原温泉往復



ここ雲ノ平キャンプ地は、結露が少なく快適だ。最新設備のトイレが間近にあり、そして水場にも恵まれている。写真の黄色い大きなポリタンクが、水場だ。といっても、ポリタンクに溜まった水を使う必要はなく、山の上から降ろされたホースで、真新しい伏流水を汲むことができる。広々としているおかけで、ご近所のテントとも距離を確保でき、音漏れもそれほど気にならない。良いことづくめのキャンプ地だが、夜は冷える。地下に冷たい伏流水が流れているためか、地面が冷たいのだ。間近に湿地帯がある関係で朝晩に蚊が多いことも、数少ない欠点のひとつだ。一応、電池式の蚊取りベープは使ったのだが、食事を作っている最中などのちょっとした隙に、手足を刺されてしまった。
この日の朝食メニューは、アルファ米の赤飯、ソフトふりかけの紫蘇ひじき、シジミ入り味噌汁。

07時10分頃、高天ヶ原温泉に向け出発。もちろんテントは張ったまま、最低限の装備を25リットルのサブザックに詰め、軽装での山行だ。大荷物でノロノロ歩く山行だと、どうしてもフラストレーションが溜まってしまう。今日は軽荷のスピーディーな行動で、溜まったうっぷん晴らす日だ。


写真撮りにとって、朝の光は神である。


カメラをどっちに向けても、思わずシャッターを切りたくなるような眺望が広がっている。

しばらく歩くと、大きなアンテナの人工物の前に出た。看板のようなものは見あたらなかったが、ガイドブックによると、無人のコロナ観測所らしい。


木道を少し進むと、奥スイス庭園と呼ばれる場所に出た。ここも素晴らしい眺望で、カメラの休まる間がない。

奥スイス庭園を過ぎると「雲ノ平の森の道」と案内標のある樹林道に入る。ここからは、だらだらの下り道だ。傾斜は少しずつ急になり、途中、三つほどハシゴで降りる箇所もある。しかし、特に迷いそうなところはなく、ルートはわかりやすい印象だ。

まっすぐ進んでT字路になったところが、薬師沢との分岐点である高天ヶ原峠。道標には「あせらずに行こう、お花畑と温泉がまっているよ」の言葉が書かれている。

道標を右折して高天ヶ原へと進むと、まだまだ樹林道が続く。沢を二つほど越えるが、橋がかかっているので、徒渉の心配はない。

そしてついに着いたぞ、高天ヶ原。

高天ヶ原山荘は、雪の重みによるものか、屋根が曲がり反っている。

山荘から温泉までは、約20分。

途中、道の端にヘビがいた。アオダイショウのようだが、もしかするとヤマカガシだろうか? こんな山奥で毒ヘビに咬まれたら、ヘリでの救助を求めるほかないだろう、怖い怖い。山に入るときはヘビとハチとウルシに気を付けろという、飛騨高山に居た子供のころ教わった言葉を思い出した。

温泉がある沢に到着。

囲いのある建物は女風呂。ハシゴを挟んで左側に道標がある。

「夢ノ平 龍昌池 約15分」と書かれている。地図では竜晶池の表記なのだが、高天原/高天ヶ原と同様、こうした表記のブレはよくあること。道標に敬意を表し、このブログでも龍昌池と表記しよう。せっかくここまで来たなら、行かなきゃ損だ。

龍昌池への道は、最初の取り付きだけ急な登りであるものの、すぐに歩きやすい水平道となる。

10時40分頃、龍昌池に到着。新穂高温泉からここまで、コースタイムを単純合計しても16時間半ほどになる。北アルプス最深部のさらに奥の院、秘境中の秘境といえる場所に、ようやくたどり着いた。

セミの声などまったくせず、静寂そのもの。聞こえるのは、トンボのかすかな羽音だけ。

写真で見ると、特にどうということのない池なのだが、その場に立って心に受けるものは、何とも不思議な感覚だった。初めて見る風景のはずなのに、何かとてつもなく昔から知っている風景のようで、懐かしさのようなものが込みあげ、思わず涙腺が緩くなった。前世の記憶に触れたとでも言えば良いのだろうか。

この池は、トンボの楽園である。恐らく、その種類は10種はくだらないだろう、ヤンマからイトトンボまで、大小さまざま多様なトンボが暮らしている。それぞれの形でつがいを作って飛び、水面に産卵している。人間の手がほとんど及ばない北アルプス最深部で、彼らはいったい何万年前から、このような暮らしを続けているのだろう。

龍昌池の魅力は、写真なんかじゃとても表現できないと思う。恐らく、絵画でも難しいだろう。表現として残せるのは、歌を詠む人だけかも知れない。

龍昌池から戻り、いざ、温泉へ。女風呂はあるのに、男風呂はない。男が入れるのは、混浴風呂と書かれた露天風呂だけだ。強い硫黄臭がし、青白く濁ったお湯で、浴槽には白い湯の花が厚くヨーグルトのように溜まっている。お湯には小さな虫の死骸がたくさん浮いているが、そんな細かいことを気にして入るような場所ではない。置かれている桶は、銭湯でおなじみの黄色いケロリンだ。浴槽に入る前に、よくカラダを流して汗を落とせということだろう。当然だが、石けんは使えない。
湯温はちょうどいい具合だった。雨が続くとぬるくなり、日照りが続くと熱くなるらしいが、運が良かったようだ。
風呂あがりに、はたと気付いた、日焼け止めを持って来なかった! 一応、水泳にも耐えられる日焼け止めを塗っているものの、さすがに入浴しては落ちてしまっているだろう。
あがって服を着始めたところで、人が来た。当たり前だが、若い女性ではない。ワサビ平と雲ノ平でも会った、あの笑ゥせぇるすまんのおっさんだ。風貌はともかく、中身は似た者同士なのか、行動パターンが同じでつい遭遇してしまうということなのか。また会いましたね、と挨拶を交わす。ふと、湯元を見ると、岩の上に大きなツチガエルがいた。まさか入浴しに来たわけではないだろうが、湯元にカエルの置物が並ぶ下呂温泉を思い出した。
これから入浴するおっさんと交代に、こちらは山荘への帰路を辿る。普通、温泉というのは汗を流し疲れを癒すために入るのだが、雲ノ平からここを往復する場合、温泉から上がった後に、汗をかいて疲れを招くというオマケが付いてくる。

道を歩いているうち…、いた! 往路で見たのとはまた別の個体だ。シマヘビだろうか。小さな虫をトンボが喰い、トンボをカエルが喰う。そしてヘビはカエルを喰うのだろう。さらに空を見上げれば、猛禽類と思われる大きな鳥の姿もある。ヘビの天敵はそれら猛禽類だ。見事に食物連鎖のピラミッドができあがっている。


高天ヶ原山荘に着くと、腹が減ったので、うどんを注文した。山菜がふんだんに入り、なかなか腰のある美味しいうどんである。

食べ終わった後、30分ほどはここでくつろぐことにした。今日は天候がとても安定しているらしく、お昼過ぎてもそれほど雲は広がらない。山荘のベンチから見える風景は、実に素晴らしい。

13時00分頃、山荘を出発し雲ノ平への帰路をスタート。湿地帯では山地と植生が異なり、これまた興味深い。

明日は水晶岳に登りたいなあ。


奥スイス庭園を抜け、15時50分頃、雲ノ平山荘へ到着。コースタイム3時間30分のところ、2時間50分で歩いたことになる。途中休憩10分×3回を差し引くと、2時間20分、つまり2/3の所要時間だ。当たり前だが、装備を軽くするとこんなに早いんだなあ。

山荘で500mlのロング缶ビールを買った。山荘前のベンチでゴクゴク飲む。時間は経ったが風呂上がりのビールだ、最高に旨い!
飲み終えると、一気に酔いが回ってきた。平地だったら、ビールの500mlくらい、どうってことないのだが、空気が薄い山岳地で疲労状態だと、三倍くらい強く酔う酒に感じてしまう。たぶん、1.5リットルくらい一気飲みした感覚じゃないだろうか。
酔ってふらふらしながらも、無事テントに戻り、ほっとする。
夕食メニューは、手間のかからないものということで、マルタイの棒ラーメンに、コンビーフ1缶を入れたものにした。棒ラーメンにコンビーフ缶は初めて合わせてみたが、大成功。とても美味しい。
就寝のためシュラフに入ると、全身が硫黄臭い。高天ヶ原温泉、畏るべし。