父亡き後の母

当時、無借金で父が残してくれた新築マイホームと労災保険のおかげで、すぐに生活が困ることはなかったが、母は気力が失せて放心状態が続いた。季節が一回りしたころ、ようやく母は気を取り直し、周りの人の助言を受け、マイホームを改築、旅館営業に乗り出す。当時の飛騨高山は観光ブームで、始めた旅館は幸いにも繁盛した。
しかし、良い話は続かない。母は知り合いに騙され委任状を渡してしまい、父が残してくれた家を改築してできた旅館は、土地建物とも盗られてしまうはめに遭う。裁判で争う最中、騙した人物は破産し、旅館は競売にかかり、第三者の手に渡る。結局、裁判は和解となったが、裸一貫の相手から取り戻せるものは何もなかった。
以前、教員だった母は、家を奪われた後、再び、教壇に立つ道を選んだ。赴任して1か月半、音楽の授業で生徒の前でピアノを弾いていた最中、突然、右手が効かなくなり、半身不随状態で病院へ。脳血栓の診断を受けた。
最初は手足が動かない症状のみだったが、次第に会話に支障をきたし、知覚も健常を保てなくなる。小学校を卒業し中学生当時の自分にとって、聡明だった母が壊れていくさまは、本当に辛いものだった。

思い起こせば、当時、自分があのどん底の生活にも潰れず乗り越えられたのは、友人たちの助けがあったためだった。そうだ、今だって、1人でくよくよしてても仕方ない。頑張ろう! 悪いことは続くが、今のところ、どれも「不幸中の幸い」なんだし。